この記事はこのような方々にオススメです。
- スポーツクライミングが好きな方
- 東京五輪を楽しみにしている方
- 野口啓代選手が好きな方
こんにちは!Cappuccioです。
東京五輪まであと1年を切り、各競技とも代表選手選考会が本格的にはじまりました。スポーツクライミングでも2019年8月に世界選手権がおこなわれ、男女ともに東京五輪内定者が出る、と期待されています。
もうご存知の方も多いと思いますが、スポーツクライミング界を長年にわたってけん引してきた野口啓代選手が東京五輪を最後に競技人生を終える、と語りました。
【コラム】
野口啓代、“引退宣言”の覚悟とは
スポーツクライミング絶対女王が目指す“現役最後の1日”(篠幸彦)#東京五輪 で初めて追加種目に採用され、8月に世界選手権の日本初開催を控え、大きな注目を浴びている スポーツクライミング界。#野口啓代 #Tokyo2020https://t.co/xqOHtepl9H— REAL SPORTS(リアルスポーツ) (@realsportsjp) June 28, 2019
そこでこの記事では野口啓代選手の経歴を振り返り、彼女が日本でのスポーツクライミングの普及にどれほどの貢献をしたのか見ていきましょう。
というわけで、この記事の内容は以下のようになっております。
- 野口啓代選手のプロフィールと経歴
- 野口啓代選手の実家には新たな練習用の壁が設置される?
- 野口啓代選手のスポーツクライミング界での貢献とは
野口啓代選手の経歴を振り返る
それでは、野口啓代選手のプロフィールと経歴を見ていきましょう。
野口啓代選手のプロフィールを紹介
野口啓代選手のプロフィールはこちらです。
- 名前の読み方:のぐち あきよ
- 出身地:茨城県龍ヶ崎市
- 生年月日:1989年5月30日
- 身長:165㎝
- 所属:TEAM au
野口啓代選手は2019年8月現在30歳になっており、ベテランといえる年齢に差し掛かっていますが、順位を下げることもなく国内外の大会で優秀な成績を残しつづけています。
野口啓代選手の経歴を振り返る
野口啓代選手の成績をまとめてみました。なお、数がとても多いので年齢別で分けたうえで優勝・準優勝のもののみ載せました。
2002年3月(小学校6年生)
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2002/3 | 全日本ユース選手権 | 優勝 |
野口啓代選手がクライミングを始めたきっかけは、小学校5年生の夏休みに家族でグアムに旅行した時にゲームセンターにあったクライミングウォールに登ったことだそうです。
グアムでクライミングに魅了された野口啓代選手は、それからまもなくつくば市にあるクライミングジムに通い始めたそうです。
それからわずか2年足らずで中学生や高校生も参加する「全日本ユース選手権」で優勝するわけですから、もともと才能もあったのではないかと思います。
2002年4月~2005年3月(中学生時代)
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2003/11 | ジャパン・ツアー第4戦 | リード | 準優勝 |
2004/6 | リード・ジャパンカップ | リード | 準優勝 |
2004/8 | JOCジュニアオリンピックカップ大会 | リード | 優勝 |
2004/12 | ジャパン・ツアー第3戦 | リード | 準優勝 |
2005/3 | フリークライミング日本選手権 | リード | 準優勝 |
この中で、「ジュニアオリンピックカップ大会」以外はすべて大人も参加する大会ですので中学生の段階でここまで優勝争いできる野口啓代選手は本当にすごいんだなとあらためて感じます。
2005年4月~2008年3月(高校生時代)
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2005/9 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2005/11 | リード・ジャパンカップ | リード | 優勝 |
2006/8 | UIAA世界ユース選手権 | リード | 準優勝 |
2006/9 | リード・ジャパンカップ | リード | 優勝 |
2006/12 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2007/3 | JFAユース選手権 | リード | 優勝 |
2007/6 | リード・ジャパンカップ | リード | 優勝 |
2007/9 | IFSCクライミング・世界選手権 | ボルダリング | 準優勝 |
2007/12 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2007 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 準優勝2回 |
2008/3 | JFAユース選手権 | リード | 優勝 |
野口啓代選手は高校生になると国内では無敵状態になり、「リード・ジャパンカップ」で3連覇を達成し、「ボルダリング・ジャパンカップ」に至ってはこの後も連覇を続けて2014年まで9連覇を成し遂げています。
2007年以降は国際大会にもチャレンジして腕を磨いていますね。こうした積極的な姿勢も野口啓代選手の強さの1つだと感じました。
2008年4月~2012年
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2008/4 | フリークライミング日本選手権 | リード | 優勝 |
2008/7 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝(日本人女性として初) |
2008/8 | IFSC世界ユース選手権 | リード | 優勝 |
2009/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2009/11 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2009 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝3回 準優勝1回 |
2010/11 | フリークライミング日本選手権 | リード | 優勝 |
2010 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝2回 準優勝1回 |
2011/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2011/10 | フリークライミング日本選手権 | リード | 優勝 |
2011 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝4回 準優勝1回 |
2012/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2012 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝3回 |
このころになると国内のみならず海外でも強さを発揮し始め、2008年7月に日本人女性として初めてワールドカップ・ボルダリング部門で優勝すると、その後もワールドカップで複数回の優勝を達成するなどして、2009年と2010年にはワールドカップのボルダリング部門で年間総合優勝という快挙を達成しています。
2013年~2016年7月
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2013/1 | クライミング・日本選手権 | リード | 優勝 |
2013/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2013 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 準優勝3回 |
2013 | IFSCクライミング・ワールドカップ | リード | 準優勝1回 |
2014/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2014 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝4回 準優勝1回 |
2015 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝1回 準優勝3回 |
2016/1 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2016/3 | クライミング・日本選手権 | リード | 優勝 |
2016 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 準優勝1回 |
2010年代前半はまさに野口啓代選手にとって全盛時代といった感じですね。国内外問わず強さを存分に発揮して、ワールドカップで複数回優勝することがもはや珍しくなくなっていますよ。そして、2014年と2015年にはワールドカップのボルダリング部門で年間総合優勝しています。
2016年8月~2019年(年齢27歳~30歳)
年/月 | 大会名 | 種目 | 順位 |
2016 | IFSCクライミング・ワールドカップ | リード | 準優勝1回 |
2017/1 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 準優勝 |
2017/3 | 日本選手権リード競技大会 | リード | 優勝 |
2017 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 準優勝2回 |
2018/2 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 優勝 |
2018/3 | 日本選手権リード競技大会 | リード | 準優勝 |
2018/6 | コンバインド・ジャパンカップ | 複合 | 優勝 |
2018 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 優勝3回 準優勝1回 |
2019/1 | ボルダリング・ジャパンカップ | ボルダリング | 準優勝 |
2019/3 | リード・ジャパンカップ | リード | 優勝 |
2019/5 | コンバインド・ジャパンカップ | 複合 | 準優勝 |
2019 | IFSCクライミング・ワールドカップ | ボルダリング | 準優勝4回 |
優勝・準優勝だけでこれだけの数があります。野口啓代選手の実績がどれほどとびぬけたものであったのか、がうかがいしれますよね。
さて野口啓代選手は実は3年前にも引退を迷っていた時期があったそうですが、東京五輪でスポーツクライミングが競技として実施されることが決まり、引退を東京五輪後に決めたという経緯があります。
野口啓代選手の実家に「スピード」対策の壁を設置?
ここからは野口啓代選手がどうしてここまで強いのか、その理由を探っていきたいと思います。強さの源に迫るために、この記事では以下の2つの観点から書いていきます。
- 野口啓代選手の実家は?専用のウォールがある!?
- 野口啓代選手の練習時間や方法は?
野口啓代選手の実家は?専用のウォールがある?
野口啓代選手の実家は茨城県の龍ヶ崎市にあり、「野口牧場」を経営していたそうですよ。2019年現在「龍ヶ崎市 野口牧場」と検索すると「龍ヶ崎市有機肥料組合堆肥センター」と表示されますが、現在も野口さん一家がここを経営しているのでしょうか。
ちなみに「龍ヶ崎市有機肥料組合堆肥センター」の周辺地図はこちらです。ウェブサイトには「野口牧場」と記載されているみたいですね。どうやら「野口牧場」イコール「龍ヶ崎市有機肥料組合堆肥センター」であり、野口啓代選手の父が経営している可能性が高そうです。
さて、この場所をグーグルストリートビューで見てみると木がたくさん生えていて、小さな森のようになっているのが分かります。野口啓代選手は幼少時代、牧場周辺の木や牛舎の屋根に登るのが好きだったようです。スポーツクライミングをするのに必要なバランス感覚やセンスは、幼少時代からの遊びの中で培われたのではないでしょうか。
ところで、野口啓代選手の実家である「龍ヶ崎市有機肥料組合堆肥センター」には、啓代さんが中学生のときに父が牛舎の一部を改造して建設したクライミング・ウォールが存在します。ウォールは野口啓代選手の成長に合わせて作り替えられ、これまでに少なくとも3回は姿を変えています。
さらに、東京五輪で実施される複合種目に備えて得意な「ボルダリング」「リード」に加えて、国内での練習場の少なさなどから対策が遅れていた「スピード」の強化を図る野口親子は、「龍ヶ崎市有機肥料組合堆肥センター」内に新たに「スピード」専用のウォールを2019年の春に完成させました。
野口啓代選手の練習時間や方法は?
野口啓代選手が幼少時代より木登りなどの遊びを通じてクライミングに楽しさを見出し、それを見ていた父も牛舎をウォールに建て替えるなど全面的に協力した結果、野口啓代選手にとって極上の環境が整っていたことはこれまでに見てきたとおりです。
では、野口啓代選手が身体能力を強化したり技術を磨いたりするのに、どのような練習をどれぐらい行っているのでしょうか?気になるところですよね。
野口啓代選手の練習内容はとてもハードなことで知られています。これはあくまで1例ですが、
- 2時間以上のストレッチ
- 3~4時間のクライミング
- 1時間の筋トレ(懸垂、腕立てなど)
- 30分のジョギング
というふうに1日の約3分の1をトレーニングにあてているそうです。
野口啓代選手は
- 柔軟性に優れている
- 握力が女性平均の約2倍ある
- 全身の筋肉がとても発達している
というフィジカル面での特徴がありますが、上の練習内容を見ればすべて納得ですね!
そして実はこれが最大の強さの秘訣ではないかと私は思ってしまうのですが、野口啓代選手はクライミングをスポーツとしてではなく趣味の延長として行っている、つまり人との勝負ももちろん重要視しますが、それよりも難しいウォールに挑戦してクリアしたい、という自分の気持ちの方をより重要視している、という点ではないでしょうか。
野口啓代選手のスポーツクライミングへの貢献とは
2018年11月、野口啓代選手は「Woman in sports」アワードで特別賞を受賞しました。この賞はスポーツで社会貢献した女性に与えられる賞で、他の受賞者もマラソンの金メダリストの高橋尚子さんや若者に大人気のトレーナー・AYAさんなど、豪華な顔ぶれとなりました。
ここからは野口啓代選手がスポーツ、あるいは社会に対してどのような貢献をしたのかを振り返りたいです。彼女のスポーツへの貢献といえば、この2つではないでしょうか。
- スポーツクライミングが東京五輪の新競技に決定
- 日本国内での競技人口の増加や練習施設の増加
スポーツクライミングが東京五輪の新競技に採用される
東京五輪の新競技に採用されるための特別なロビー活動などを野口啓代選手自ら行ったわけではおそらくないでしょうが、IOC(国際オリンピック委員会)での選考に与えた影響はやはり大きいのではないか、と思います。
どういうことかというと、IOCは「女性の競技参加」を将来の五輪の方針として重視する傾向にある、といえます。その証拠として東京五輪ではカヌーやボートなどの競技で男子の種目が減少して女子の種目が増加しています。
東京五輪の新競技が公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会からIOCに提案されたのが2015年で、正式に新競技として決まったのが2016年であり、当時全盛期といってもおかしくないほど活躍していた野口啓代選手の活躍が、女性の競技参加を後押しするIOCの選考委員の目に留まっていたとしてもおかしくありませんね。
日本国内における競技レベルの向上と練習施設の増加
野口啓代選手がスポーツクライミングの国際大会にデビューしたころは、日本国内ではクライミングをする人はいたものの、その大部分がスポーツとしてではなくキャンプやバーベキューと同じようなアウトドアな趣味の1つとしておこなう人々で、クライミングの練習施設も100件前後でした。
しかし、野口啓代選手が国際大会で上位入賞がめずらしくなくなった2010年ごろから急激に増加して2017年には500件前後に増加しています。競技レベルも急激に向上して、特にボルダリングでは2014年から2017年まで4年連続で1位になり、現在でもボルダリングW杯で複数の選手が1桁順位を獲得することも見慣れた光景となっています。
まとめ
長くなりましたが、この記事の内容をまとめると次のようになります。
- 女子スポーツクライミング界のレジェンド・野口啓代選手は東京五輪を最後に競技生活から引退
- 野口啓代選手は2019年8月時点でW杯で通算21回優勝している
- 野口啓代選手の実家は牧場で、牧場内に父が建設したクライミング・ジムがある
- 野口啓代選手は1日の約3分の1をクライミングの練習や筋トレ・ストレッチに充てている
- 野口啓代選手は国内外でのスポーツクライミングの普及に大きく貢献した
野口啓代選手、これまで本当にお疲れさまでした。東京五輪で最高の結果を残せるようにこれからも応援していきます。また、クライミングを趣味・生活の一部とまで考えているようなので、引退後も野口啓代選手がどこかでクライミングをしているところをテレビやSNSなどで見ることができるかもしれませんね。